動物園水族館雑誌文献

ホッキョクグマにおける臍ヘルニア手術の一例

発行年・号 2008-49-02
文献名 ホッキョクグマにおける臍ヘルニア手術の一例 (A Case of Surgical Repair of Umbilical Hernia in a Polar bear, Ursus maritimus)
所属 愛媛県立とべ動物園、愛媛県畜産試験場
執筆者 大饗英章、熊岡悟史、毛利 靖、高市敦広、二宮幸三、河野良輝
ページ 37〜41
本文 ホッキョクグマにおける臍ヘルニア手術の一例

大饗英章 1、熊岡悟史 1、毛利 靖 1、高市敦広 1、二宮幸三 1、河野良輝 2

1 愛媛県立とべ動物園(〒791-2117 愛媛県伊予郡砥部町上原町240)
2 愛媛県畜産試験場(〒797-1211 愛媛県西予市野村町阿下7-156)

A Case of Surgical Repair of Umbilical Hernia in a Polar bear, Ursus maritimus

Hideaki Ohae 1 Satoshi Kumaoka 1, Yasushi Mohri 1,
Atsuhiro Takaichi 1, Kouzou Ninomiya 1 and Yositeru Kouno 2

Tobe Zoological Park of Ehime Pref. (240, Kamiharamachi, Tobe-cho, Iyo-gun, Ehime 791 1 2117, Japan) ? Animal Husbandry Experimental Station of Ehime (7-156, Age, Nomura-cho, Seiyo-shi,
Ehime 797-1211, Japan)

キーワード:ホッキョクグマ、臍ヘルニア、整復手術、大網

要約

愛媛県立とべ動物園で飼育している7歳のホッキョクグマUrsus maritimusが、臍ヘルニアを発症したため、2006年10月30日に麻酔下での整復手術を行なった。ヘルニア内容は大網であり、ヘルニア輪が小さく、用手による還納は不可能であったため、大網600gを切除した。ヘルニア輪の大きさは拇指大くらいの小さなものであった。ヘルニア輪の辺縁を切除し、2号ナイロン糸を用い単純結節縫合にて閉鎖した。皮下及び皮内は吸収糸による連続縫合、皮膚はワイヤー糸による単純結節縫合を行なった。手術時間は麻酔投与から覚醒まで計3時間30分を要した、2006年11月30日に麻酔下にて抜糸を行なったが、術創は瘢痕化して閉鎖されており、ヘルニアの再発は見られなかった。今回臍ヘルニアを引き起こした原因の一つとして、2003年4月より間欠的に繰り返しているてんかん発作が考えられた。

はじめに

臍ヘルニアは幼少時に臍輪が閉鎖されないために起こり、ヘルニア輪が小さなものでは成長とともに自然閉鎖する傾向が強い。しかし、成獣で発生した際ヘルニアは時間経過とともに進行していく可能性が高く、腸管を絞扼する危険性もあるため、手術の適応となる場合が多い(鈴木,1994)。愛媛県立とべ動物園で飼育しているホッキョクグマUrsus maritimusにおいて臍ヘルニアが見られ、麻酔下での整復手術を行なったのでその経過を報告する。

材料および方法

対象個体
対象個体は、1999年12月2日に愛媛県立とべ動物園にて出生したメスのホッキョクグマで、人工哺育により成育した、2003年4月16日より原因不明のてんかん発作を発症しており、フェノバルビタール(フェノバルビタール「ホエイ」®︎,メルク製薬)の朝・夕2回の投与による治療を行なっている。

臨床経過
2004年4月頃より臍の付近にテニスボール大の腫瘤がみられ、その後も大きさに変化はなく、当個体も気にする様子が見られなかったため、特に処置は行なわなかった。2006年7月頃より腫瘤が急速に大きくなり始め、2006年9月にはソフトボールほどの大きさとなった(図1)。短期間に大きさの変化が見られたため臍ヘルニアを疑い、2006年10月30日に麻酔下での整復手術を行なった。

麻酔
麻酔は体重を300kgと推定し、塩酸メデトミジン0.07mg/kg(ドミトール®,明治製菓)と塩酸ケタミン5.3mg/kg(ケタラール®,三共エール薬品)を吹き矢(TELINJECT®,イワキ(株)により筋肉内投与した。手術中はマスクによるイソフルラン1.5%(エスカイン®,メルク製薬)、酸素10L/minの吸入麻酔を行なった、覚醒のために、吸入麻酔を終了し、塩酸アチパメゾール0.37mg/kg(アンチセダン®,明治製菓)を筋肉内投与した。

手術準備
手術は獣舎内で実施した長時間の手術となることが予想され、個体への負担を軽減し、衛生的手術を行なうため、床にアルミマットを敷きつめた。四肢をロープにて縛り、仰臥位に保定した後、術野の剃毛および消毒(図2)、頸静脈に18G留置針を用いて血管確保を行なった。

手術方法
手術方法については鈴木(1994)を参考に作成したフローチャート(図3)を基に、還納性を確認しながら実施した。


図1 症例の腹部外観(2006年9月27日)

図2 剃毛、消毒後の患部

図3 手術手順フロー

結果

整復手術
触診では腫瘤は大変硬く、非観血的な還納は不可能であった。ヘルニア内容を確認するため腫瘤中央の皮膚を尾側方向に切開し、ヘルニア嚢と癒着した皮下織を7cmほど切開したところ、大網が見られた(図4)。また触診により腹壁に拇指が1本入る程度のヘルニア輪を確認した。ヘルニア輪が小さく、ヘルニア内容の還納が不可能であったため、ヘルニア嚢の切開を広げヘルニア内容である大網600gを切除した(図5)。ヘルニア輪の大きさは1.5x1.5cmくらいの小さなものであった(図6)。ヘルニア輪の辺縁を切除し、ナイロン糸2号を用い単純結節縫合3針にて閉鎖した。皮下織及び皮内は合成吸収糸0号(モノフィラメント)による連続縫合を行ない、皮膚はステンレスワイヤー(1-0号)による約18cm17針の単純結節縫合を行なった(図7)。
術中は頸静脈より輸液剤1,500mL(ソリタT3®,味の素)に強肝剤20mL(強力ネオミノファーゲンシー®,ミノファーゲン製薬)、総合ビタミン剤30mL(レスチオニンC®,川崎三鷹製薬)を加え、800mL/hにて点滴投与した。また抗生剤としてアンピシリン26mg/kg(注射用ビクシリン®,明治製菓)を静注した。
なお手術時間は、麻酔薬投与から機材の搬入、術野の剃毛および消毒、血管確保などの術前準備に約1時間、皮膚切開からヘルニア内容の除去および皮膚切開創の閉鎖まで約2時間、覚醒に30分の合計3時間30分を要した。

図4 ヘルニア嚢の切開図5ヘルニア内容(大網)の切除

図6 ヘルニア輪

図7 皮膚縫合後の外観

手術前後の投薬
術前3日間と術後の14日間、アモキシシリン20mg/kg/day(パセトシン®︎,協和発酵)の経口投与を行なった。手術翌日から患部の腫脹が著しかったため、トラネキサム酸18mg/kg/day(トランサミン錠®︎,第一製薬)を3日間投与したところ腫脹は徐々に改善された。

抜糸
2006年11月30日に麻酔下にて抜糸を行なった。術創は瘢痕化して閉鎖しており、触診ではヘルニアの再発は認められなかった。2007年4月23日麻酔下にて健康診断を行なったところ、血液検査上の異常は認められず、ヘルニアの再発も認められなかった。

考察

臍ヘルニアの手術では再発を防ぐためヘルニア輪の閉鎖方法が重要である。近年人医療ではメッシュを用いた閉鎖法が報告されている(長江ほか,2004)。しかし、ヘルニア輪が遥かに大きいことが予想されるホッキョクグマへの適用は難しいと思われた。当初強い腹圧に耐えられる方法として、浜田ほか(1992)の報告を参考に、ヘルニア輪を張力の強い糸を用いてマットレス縫合にて閉鎖し、腹膜にキチン-ポリエステル系繊維不織布複合体(キチパックP®︎,エーザイ(株)を縫い付け、腹圧を軽減させることを考えていた。幸いこの症例では、ヘルニア輪が約1.5x1.5cmと大変小さく、3針の単純結節縫合で充分に閉鎖できたため、被覆剤の使用は行なわなかった。
ホッキョクグマの腹壁ヘルニア整復術では、松本ほか(2006)が報告しているように、後に腸間膜の腹壁への癒着を引き起こす危険性がある。腹壁ヘルニア整復術についてはPhilo et al.,(1979)が良好な成績を収めたという報告があるが、詳細な術式は記載されておらず、ヘルニア輪の閉鎖に用いる縫合糸の種類が不明であった。今回ヘルニア輪の閉鎖には腹圧に耐えられる縫合糸として、ナイロン糸2号を用いた。ヘルニア輪が小さかったため、縫合糸の張力としては充分な強度であると考えられた。
ホッキョクグマにおける臍ヘルニアについてBrookfield Zoo staff(2006)らの整復手術の報告があるが、その他に発生報告はなく、好発しやすい種とはいえない。今回臍ヘルニアを引き起こした原因の一つとして、2003年4月より間欠的に繰り返しているてんかん発作が考えられた。当個体の1回のてんかん発作では1分間ほど強直性痙攣が続くため、その際生じる腹圧により閉じていた臍輪が押し広げられ、腹腔内の大網が押し出されたと推測する。2007年3月現在、フェノバルビタールを用いたてんかん治療を行なっており、発作の頻度は月1回程度にコントロールしている。しかし、発作の際の強い腹圧を考えると、今後再発の可能性もあり、発作のコントロールを継続し、定期的な麻酔下での触診および血液検査により注意深く経過観察を行なっていく。

謝辞

今回の手術を行なうに当たり、貴重なアドバイスをいただいた諸園館の方々に深く感謝いたします。

引用文献

鈴木立雄(1994):臍ヘルニアの手術,In 獣医外科手術:139-142,竹内 啓,一木彦三,大塚宏光,小池壽男,佐々木伸雄,高橋 貢編,講談社サイエンティフィク,東京.
山田明夫(1994):牛と豚の臍ヘルニアの手術.In獣医外科手術:627-630,竹内 啓,一木彦三,大塚宏光,小池壽男,佐々木伸雄,高橋 貢編,講談社サイエンティフィク,東京.
長江逸郎,土田明彦,田辺好英,高橋総司,湊 進太朗,青木達哉,小柳泰久(2004):メッシュを用いた腹壁瘢痕ヘルニアの治療,日消外会誌,37(2):257-262.
浜田弘二,中西尚志,狩集 努,岡本芳晴, 南 三郎,松橋 皓,重政好弘(1992): キチン・ポリエステル不織布複合体の牛臍ヘルニア整復術への心用,家畜診療,354:11-14.
松本令以,山本裕彦,植田美弥,松井嗣人,水谷苗子,草村弘子,上田愛子(2006):疝痛症状を示したホッキョクグマの試験的開腹術,動水誌,47(3):79-84.
Philo, L. M., Wolfe, D. L. and Fassig, S. M. (1979) : Treatment of an acquired abdominal hernia in a polar bear (Thalarctos maritimus ). J Wildl Dis, 15 (1) : 121-123.
Brookfield Zoo staff (2006) : Operation Polar Bear. Veterinary REPORT, 29 (1) : 6.
〔2007年6月29日受付、2008年3月21日受理〕

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